2004年2月

箱の中の雪
鈴木三蛙神父

1月の半ば、急に雪を踏みしめたくなって東武線に乗り、会津へ行った。
汽車を降り雪に分け入ってひとつかみ手のひらにとると冷たさが伝わってきた。
雪はすぐ溶けていったがその雪を見ているうちに、一つの話を思い出した。
話してくれたのは詩人のような、豊かな感性を持ったカナダ人のP老神父さんだった。
以下はそのお話。

「10年前のことだった。雪のない冬の日に、偶然にある女の子が私にたずねた。
『神父様は雪が好きですか』。
『すごく好きだよ』と答えた。
4、5日の後、小さな箱を持ってこの子は教会に来た。
『昨日山へ行って雪を見つけたので、持ってきましたよ。ほら』。
だが、箱を開いてみると、あいにく雪は溶けていた。けれども、この溶けてしまった雪の中にどれほどあの子どもの心が入っていたことか」

P神父さんは続けて、
「神が私から期待しておられるのは、もったいぶった態度や、高尚な論文ではない。あの子の心の素朴さだ。果たせないような約束よりも、心残りなく、すべてを喜んでゆだねることが、それなのだと思う。」
・・・と。

早いもので2004年の1月も間もなく終わる。
2月の声を聞くと月末の25日は灰の水曜日だ。
そして季節は四旬節に入る。
神への信頼をもう一度取り戻すための、和解の季節がやってくる。
それは、洗礼志願者を迎えてともに祈る、自分の信仰を見つめ直す季節でもある。

教会報 2004年2月号 巻頭言

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