2004年8月

蛍の話が出ました
鈴木三蛙神父

先日、お茶を飲みながら蛍の話が出ました。
みなさん50才以上、かつて蛍の飛び交った里のイメージを大切にしていました。
田圃の間を流れる小川や町はずれの小さな川でも、岸辺にたくさん見つけることのできた川蜷(カワニナ、蛍の幼虫のえさとなる巻き貝)。
あたりが明るくなるほどの蛍の乱舞。すべては懐かしい思い出となってしまいました。

過日、栃木県大平町の西山田に行って来ました。
初めて訪れた5年ほど前は数十匹でしたが、今年は300匹は飛んでいたでしょうか。
川をきれいにし、農薬を使わないようにするなど地道な努力を続けた甲斐あって、今年はみごとにその成果が現れた様子。
子供たちが歓声をあげていました。
ここはぶどうの里。
ビニールハウスが建ち並んでいますが、そのハウスとハウスの間にも、あぜ道にも光跡を残して飛び交っていました。

1人の熱意が長い時間を経て多くの人に届いてゆく・・・。
有志が川蜷を増やす取り組みをはじめて10年、今では村全体で取り組む自然を取り戻す事業となっていました。

先日、田無にあるクリスト・ロア修道女会から、洗礼台帳への記載の有無について、1人の信徒の問い合わせが来ました。
聞けば春日部の隣、庄和町の南櫻井にかつて孤児院があり、そこで洗礼を受けた人だと言います。

調べてみると、浦和の洗礼台帳には南桜井のクリスト・ロアで受けたという47名の受洗記録がありました。
浦和教区で戦前から戦後にかけて10年ほど活動した後、より交通の便が良く、修道会として指導の受けやすい今の場所に居を移したとのことでした。

それにしても驚いたのは、この修道会の活動の記録が浦和教区の歴史を記した『北関東のカトリック』の中に1行も触れられていなかったことです。
かつて一所懸命宣教に従事し、浦和教区の礎を築いた方々の働きを忘れてはいけないと思いました。
皆さんのうちのどなたかに、かつてのクリスト・ロア修道女会の働きの記憶が残っているでしょうか、もし残っていたら更に風化する前に、ぜひ教えてください。ここ浦和に本部を置いて北浦和や南桜井でも働いていたようですから。

宣教会や修道会の地道な働きがあって今のさいたま教区の栄光があることを覚えて、ともに主に感謝したいと思います。

教会報 2004年8月号 巻頭言

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