2004年10月

聖テレジアの祝日に
鈴木三蛙神父

聖テレジアの祝日おめでとうございます。

10月1日は浦和教会の保護の聖人聖テレジアの祝日です。いわば浦和教会のお祭りの日。
日本人はお祭りが好きです。日本人だけではない、どこの国でもお祭りは大切にされています。
日本のカトリック教会では保護の聖人のお祭りはあまり行われていませんが、信者にとっては毎日曜が感謝祭。
ミサの中で神への感謝の祭りを行っています。
それでも、教会の保護の聖人の祝日は大切にしたいものです。

保護の聖人の位置づけはどんなところにあるのでしょうか

「聖書は真の神、真の人なるキリストが無限の価値ある血と涙をもって描いた人生の楽譜と云えよう。その傑作を恩恵の楽器を使って、最も美しくかなでた方が、諸聖人とも云える」と、『教会の聖人たち』(中央出版社)の著者は序文の中で語っています。
そして、まさに聖テレジアはそのような恩恵の中で、わたしたちがよく生きるためのより身近な導きの星となった方です。

続いて、『バースディセイント』(飛鳥新社)からの引用です。

1873~97。フランスはノルマディーのアラソンで生まれた。
4歳の時母が死んだため、家族はリジューに移った。
姉のポーリーヌから宗教教育の手ほどきをうけ、15歳の時に、この姉ともう1人の姉にならって、厳格なことで有名なリジューのカルメル会の女子修道院に入ろうとしたが、若年を理由に断られたので、ローマに巡礼した際、教皇に直訴し、入会の許可を得た。
のちに「イエスの小さな花」として知られることになるこの少女は、カルメル会で、熱心な祈りと労働の日々を過ごし、ベトナムのハノイに宣教師として赴くことを熱望していたが、9年後に結核にかかり、1897年、24歳の若さで亡くなった。
死後、生前に修道院長の命令で書いた『一つの魂の物語』はベストセラーとなって世界中の人に読まれた。
死期の近いことを悟ったとき、自分は、この世に対する天の贈り物としてバラの花の雨(奇跡と恵み)を降らせると約束したことから、花屋と園芸家の守護聖女となった。

病気のため宣教師の夢は果たせませんでしたが、宣教師たちのために多くの祈りを捧げ、毎日の地味な勤めを忠実に果たす中で、気候や共同生活の中から来る小さな犠牲を神に捧げた聖テレジアは、日本をはじめとする宣教地では、とくに宣教師達や宣教地の保護の聖人として敬愛されているのです。

皆様の上に、テレジアの約束したバラの花がたくさん降り注ぎますように!

教会報 2004年10月号 巻頭言

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