2006年2月

新しい命、新しい力
齋藤紳二助祭

2月の主日の福音は、3週にわたって病の癒しのエピソードが朗読されます。

第1週(5日)は、シモンのしゅうとめと大勢の病人の癒し、第2週(12日)はハンセン病者の癒し、第3週(19日)は中風の人の癒しとつづきます。
第4週(26日)には「花婿がいるのに断食することはできない」という有名な言葉が朗読されます。

そして、3月1日は「灰の水曜日」。
いよいよ私たちは償いと祈りの季節である四旬節に入ることになります。
四旬節の前に、なぜ癒しの出来事を再確認するのでしょうか?
イエスの癒しは復活を予感させるからではないか、と私は思います。

シモンのしゅうとめは熱病で苦しんでいましたが、癒されるとすぐにもてなしの仕度をしました。
現代でも、熱病の患者は高熱で体力を消耗していますから、熱が下がってもしばらくは体力の回復に努めなければ働く力は出ません。
しかし、彼女はすぐに働きました。 

中風の患者も長い間ベッドに横たわったままですから脚の筋肉が落ち、病気が治ったとしても、つらいリハビリを重ねた後でなければ歩けません。
しかし、この人はすぐにベッドをかついで家に帰ったというのです。

イエスによる癒しは人を病気から解放するのではなく、新しい命、新しい力にあふれた肉体を与えてくれるものです。
新しい命、新しい肉体……
これこそイエスの復活にあずかる私たちが、世の終わりに授かるものです。
イエスの癒しを語る三つの朗読は、私たちの復活を予測させるためにピックアップされたと言ってよいのではないでしょうか。

そして、最後に、そのような賜物をいただいた私たちが、「花婿」であるイエスとともに永遠に存在し続けることを、私たちに再確認するようにとすすめています。

四旬節を間近に控えた季節にふさわしい朗読の連続だ……
そんな気がします。

教会報 2006年2月号 巻頭言

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