2006年4月

「しかられるから・・・」ではなく
鈴木三蛙神父

先日レストランで食事をしていた時のことです。
すぐ後ろの席に小さな子が居てソファーの上に立ってこちらをみていました。
すると母親がその子に注意をして
「叱られるからこちらを向きなさい」
と言うのが聞こえたのです。
見ているだけの幼子をだれもしかりはしません。
失礼な話です。
電車の中で子供がふざけていると、
「叱られるからよしなさい」
という言葉も良く耳にします。

「叱られるから・・・」
この言葉は、幼い子供に恐怖を植え付けることになると同時に、他人に責任を転嫁する言い方で、叱られなければいい、あるいは判らなければいい・・という偏ったものの見方を植え付けることにもなります。

お母さんがお産のために入院している間、おばあちゃんに連れられてセウイに数日泊まった男の子が居ました。
デカレンジャーのパジャマを着ていました。
家に帰ってそのパジャマを脱ぎ捨てているのを見て
「神父さんはこのパジャマをほしがっていたから、きちんと畳んでしまっておかないともらいにくるかもしれないよ」
と言ったが、一向に片づける気配がなかったとのことでした。
そこでそれを1日隠しておき、翌日畳んで男の子の引き出しにそっと入れて戻しておいたところ、それを見つけて以来男の子は、言われなくても必ず畳んで引き出しにしまうようになったとのことでした。

「叱られるから・・・」ではなく、「大切にする・・・」事の意味を学ぶことによって、子供は自分から変わっていくのでしょう。

四旬節も残すところわずかとなりました。
イエスが命をかけるほどに私たちを大切にしてくださったことを思いながら、残りの日々を過ごしたいとおもいます。
「叱られるから・・・」ではなく、「大切にしていただいている」ことを感謝しながら回心の時を持ち、私たちの心と思いを神の方に向けなおして、心を軽くして復活祭を共に喜び祝いたいものです。

アレルヤ!!

教会報 2006年4月号 巻頭言

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