2006年10月

輝かしい命の「ゆりかご」
齋藤紳二助祭

気候が秋めいてくると、思い出す一点の絵があります。
東山魁夷さんの晩年の作、「行く秋」という作品です。

いちょうの木の根元に、金色の葉がうずたかく積もっている様子を描いた絵で、よくカレンダーに収録されているのでご存知の方も多いと思います。
この絵に強く心を惹かれる人が多いからこそ、カレンダーに利用されているのだと思いますが、実にさりげない自然の一隅が描かれているだけなのに、なぜ人々に好かれるのでしょうか?

東山さんは「自然の中の命の輝き」を描き続けた画家でした。
とくに昭和50年代以降は、身の回りにあるありふれた景観の中に、この「命の輝きを」みつめる作品が多くなります。
おそらく「ゆく秋」の中にも、自然の命が描きこまれているはずです。

私は、うずたかく積もったいちょうの落ち葉が、枯れて朽ちて行くものの、その中に自然の命がひっそりと包み込まれ守られていて、春が来るとその命が力強く萌え出てくる、今は死んだように見える落ち葉が、実は新しい命の「ゆりかご」になっていることを、東山さんは描き出そうとしたのではないかと思っています。

喜びよりも苦しみや悲しみにあふれている私たちの日々の暮らしも、実はやがてくる神の国で与えられる輝かしい命の「ゆりかご」なのだと考えると、私たちの人生もまんざらではないような気がします。

最近、親殺し、子殺しを伝えるニュースが少なくありません。
人の命が軽く扱われる現代社会の中で、自分の命も、他人の命も、いつくしみながら生きていくことが、私たちに与えられた使命なのではないか……そんな気がします。

教会報 2006年10月号 巻頭言

Script logo