2006年11月

交わり
藤田恵神学生

「交わり」をテーマに、先日神学校で横浜教区の梅村司教様の講話がありました。
その内容は、若い司祭が司祭同士の交わりを軽視している--という大変手厳しいものでした。

確かに核家族化の進行や夫婦共働きの中、最も基本的な社会単位であるはずの家庭でさえ、交わりの時間が少なくなってしまっています。
しかしこれからの協働宣教司牧の時代において、交わりは間違いなく大切です。
その点を口を酸っぱくして言っていました。

確かにわたしたち神学生の環境も東京と福岡の神学校の合同に向けて、大きく変革の時を迎えています。
先月京都で行われた正平協の全国大会で、東京カトリック神学院とサン・スルピス神学院(福岡)の神学生が寝起きを共にし、ミサをしました。
ある神父様の一言が印象的でした。

「現在日本に2つある神学校の神学生が一同に会してミサをあげたのは、2つに分かれて以来、初めてのことではないか。これまでは、東京は福岡を『第二バチカン公会議以前の神学校』と呼び、福岡は東京を『悪魔の神学校』と呼んでいたことを思い出すと、感動的かつ歴史的である」と。

一部の神父様の心配をよそに、両神学生は、京の繁華街で酒を酌み交わし、銭湯で裸の付き合いをして打ち解けていました。
合同が現実味を帯びてくる中、私たちもこれまでの思いに囚われることなく人としての交わりが大切になるでしょう。

振り返って浦和教会でのわたし自身の交わりを考えたとき、能力の限界ゆえに、隔たりができてしまっているのを申し訳なく感じています。
また、何気ない一言で、傷つけてしまったことがないだろうかと、反省しています。

11月は典礼暦でいうと年度末に当たり、「王であるキリスト」(26日)に向けて、後半は終末を意識した黙示文学が読まれるようになります。
新しい典礼暦を前に、切れていた交わりの復活を意識することは、とても大切なことではないでしょうか。
主はわたしたち一人ひとりが独立した信仰者として生きるのではなく、1つの共同体として互いに足りないところを補い合いながら信仰生活を送ることを望まれていると思います。

来月からの待降節を意識しながら、交わり、つながりをもう一度確認していこうではありませんか。

教会報 2006年11月号 巻頭言

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