2008年10月

単純なこと
姜玟周神学生

北京五輪で金メダルをとったある選手のインタビューの中で「金メダルの秘訣は?」という質問に、「基本を忠実にすること」と答えていた。
単純であるけれども、それを何回も繰り返してやってるうちに自分の実力が向上したという話であった。
そんなことなら私でも言えると思った。
同じようなことを、テレビコマーシャルでも言っていた。

しかし皆さんもご存知のように、それがそんなに簡単ではない。
何の意味もなさそうな単純なことを毎日何十、何百、何千回やるのは、何もやらないより退屈だろう。
私のような人間は、多分すぐに飽きて諦めると思う。
しかしそれが、そんな単純なことの繰り返しが、「成功の秘訣」とまで言わなくとも、たいへん大事であると私たちは知っている。
どれほど耐えられるかが問題だろう。

なぜこの話をするのかというと、十月はロザリオの月だから。
私はこのロザリオの祈りをしなかった時期がある。
意味がないとは言わないが、やっているうちに頭の中では別のことを考えながら単に口だけが動いてる感じが嫌で、これは祈りじゃないと思った。

では、今は?
不思議なもので、今はやっている。
今も頭の中では別なことを考える時もあるけれども、飽きずに五十回以上の聖母マリアへの祈りを唱えている。

ある本を読んで気がついたことがあったから。
人とのかかわりもそうだけれど、神様とのかかわりも、先ず呼ぶことから始まる。
そして子供がお母さんを呼ぶ時「お母さん、お母さん」と繰り返して呼ぶのと同じように「マリア様、マリア様」と呼ぶことに意味がある。
何の意味もなくても、単純に呼ぶこと。
そして同じことをずっと繰り返しているうちに、いつの間にか落ち着く。

慣れてしまってその意味も忘れていることが、私たちの生活の中にたくさんある。

しかしその意味を普段覚えていないとしても、大事さはなくならない。
祈りも同じだと思う。半分寝ながら口だけ動いていても神様は分かってくださるのではないか。
何かあって切に祈る時も、何もない時も、あの方々を呼びながら自分をあの方々の前に置くこと、それが一番大事ではないかと思う。
何かをすることに意味があるのではなく、ただそこにいることに意味があるのだから。

教会報 2008年10月号 巻頭言

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