2009年11月

死者に思いをはせて
鈴木三蛙神父

すっかり秋も深まって、街路のケヤキ並木も色付きはじめました。
教会の庭の桜もほとんど葉を落としています。
自然界は燃えるような紅葉の美しさを残して、長い冬の眠りに入りますが、その美しさは私たちの心を引きつけてやみません。
どうして紅葉はこんなにも切なく胸にしみいるのでしょうか。

このところちょっと情緒不安定になっています。
例年ですと今の季節に軽井沢で秋の黙想会があり、自然の中に身を置いて清涼な空気を胸一杯に吸い込むことが出来るのですが、今年はそれがないからです。
毎日を忙しく動いていると、文字通り仕事は心を滅ぼしてしまいます。神様も6日間働いて7日目に休まれました。
人には適宜休みが必要です。

間もなく11月になります。
11月は永遠の安息の内にある死者に思いをはせる月とされています。

わたしたちの信仰告白の中に「聖徒の交わり」という言葉があります。

わたしたちは生ける者も死せる者も、ともに万人との連帯関係のうちにあります。
聖徒の交わりは「聖なる人々の交わり」ということで、聖なる者とは神の恩寵の内にある者、神の恵みの内にある人達を指します。
神の恵みの内にあるのはこの世における信徒もそうですし、煉獄の霊魂も、天国の霊魂もそうです。
それがまさに教会なのです。

教会は初代教会の時代から、死者を大切にしてきました。
ローマの地下墓所「カタコンブ」は、迫害のさなかにあっても信徒達がどれほど死者を大切にしてきたかを如実に語っています。
教会はその当初から深い敬愛の心をもって死者を尊び、深い祈りを捧げてきました。
死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけでなく、彼らが主のみ前に立った時に、こんどはわたしたちのために執り成すのを助けることができるのです。

「聖徒の交わり」という信仰告白を思い起こしながら、すでに神のみ前にあるわたしたちの親族、恩人、友人そして祈りを求めるすべての人のために、またこの世にあって今切実に祈りを必要としているすべての人のために、思いをはせて祈りましょう。

あなたの祈りを待っている聖徒達のために、惜しみない心で…。

教会報 2009年11月号 巻頭言

Script logo