2009年12月

作り物の馬小屋の前で
齋藤紳二助祭

待降節に入り、どの教会でもそれぞれ工夫をこらした「馬小屋」が造られています。
クリスマスを待ち望む私たちにとって、心和む飾りです。

ご降誕の馬小屋を復元して、イエスの誕生を黙想しよう、と最初に思い立ったのが聖フランシスコであることはご存知のことと思います。
聖フランシスコは亡くなる3年前、グレッチオという小さな村に住む貴族の助力を得て、舞台装置を用意します。
そこには「敷き藁が敷かれ、飼い葉桶も用意され、牛やロバもいました」と伝記には記されています。

深夜、フランシスコ兄弟会のメンバーや近隣の人たちが、たいまつやロウソクをもって集まります。
昼のように明るい馬小屋でミサがささげられました。
フランシスコは助祭だったので、福音書を朗読し、説教をしました。
その説教について、伝記には「貧しい主の誕生について語り、ベトレヘムの幼児とかイエスという名を口にするときには、その甘美な言葉を口の中でおいしそうに味わっているように見えました」と記されています。

フランシスコが馬小屋を再現して、ご降誕を黙想しようとしたのには理由があります。
「受肉の謙遜と受難の愛は、彼の記憶をほとんど独り占めし、他のことなど考えようと思わないほど」だったと言われます。
受肉、つまり神が肉をまとって人間という不自由な存在にまで自分を低くされたことが、フランシスコにとって神から私たちへの素晴らしい賜物、なによりも貴いプレゼントだったと感じられたのでしょう。
そして、そのプレゼントの意味を思いめぐらすためには、イエスが生まれた場所と同じような、そまつで謙遜な場所に身をおくべきだ、と考えたのだと思います。
イエスという名を口にするときの彼の喜びにあふれた様子から、彼の黙想がかなり深く、実り豊かなものだったことが分かります。

馬小屋の作り物は、今では単なるクリスマスの飾りつけになってしまっています。
しかし、本来、この作り物は私たちの黙想を助ける大切な補助具だったのです。
私たちの教会にしつらえられた馬小屋を、今年は本来の目的通りに活用してみてはいかがでしょう。

教会報 2009年12月号 巻頭言

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