2011年2月

私の神のいいところ
齋藤紳二助祭

50年来「俺、お前」でつきあってきた友人から久しぶりに手紙が来ました。この友人は4年ほど前に手術の結果声を失い、一時はほとんど生きる意欲もなくしていたのです。

絶望的な言葉をならべた何通もの手紙をもらいました。その中の一通、手術を受ける直前の手紙に「しゃべることを職業にしている俺から、声を奪って喜んでいるようでは、お前の神はホームレスをいじめる不良少年と同じだ」という文章がありました。そこで私は「俺の神は意地悪しているように見えて、実はそのかげでとてもしゃれた『はからい』をする人だ。楽しみに待つがいい」と返事をしたためました。

手術後は何をしても楽しくなく、ぼんやりと毎日を過ごしていたようですが、ある日突然「猛烈に頭が回転し始めた」のだそうです。次から次にさまざまな考えが浮かび、あふれるように湧いてくるので、それを片端から文章にしていきました。そのうち、次第にテーマが見えてきて、現在は「自分を生かしてくれた人々の思い出」を記すことに専念しているそうです。

文章を書き進めているうちに意欲が湧いてきて、気持ちが外に向き、同じ悩みをもつ人とグループを作り、手話を学んだり発音の訓練を始めたり、読書会を開いて感想を述べ合ったりしているというのです。地方新聞に取り上げられ、市役所の社会教育課からアドバイザーを依頼されて、忙しい日を送っているとか。

「声を失うことで、自分をみつめることを知った。俺にとってはすごい出来事だった。これがお前の神の『はからい』なのかい?」

彼は私の手紙を覚えていてくれたわけです。そして、彼は今度の手紙をこんな言葉でしめくくっていました。

「だとしたら、お前の神もいいところがあるわけだ」

教会報 2011年2月号 巻頭言

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