2016年2月

カナの婚礼、極みのぶどう酒
佐藤智宏神父

1月17日第2主日の福音朗読で、ガリラヤ地方のカナという町において、イエスが最初の目に見えるしるし(奇跡)として、水をぶどう酒に変える場面を読みました。
婚礼の時に、このしるしを行いました。婚礼において、わたしたち人間は男女が協力一致して新しい家庭を作り出していくのであり、新しいいのちを育てるためにもお互いが自ら時間と労力をささげていく、新生活のはじまりでもあります。
この人生の新しい出発点が、神と人とのまた新しいきずなを呼び戻す出発点に変えたのが、今日のイエスは水をぶどう酒に変えるしるしとして現れています。
しかも今まででできたどのぶどう酒よりも美味しい、ということです。

いつの時代にも、どこに住んでいても、そのイエスの救いのわざは、この極上のぶどう酒のように甘美なるものとして味わうことができる、そのようにもとらえられます。
極上、というのは、この主イエスが十字架に上げられてご自分のいのち丸ごとをわたしたちに与え尽くすという、その「極み」のときを示しています。
わたしたちは日々、この方、ただ1人「正しい」と呼べる方の、この極みの行いによって、神からの不朽のいのちを前もって味わうことができます。
それこそが「極み」である彼のいのち、「キリストのからだと血」です。
このいまの世界にはさまざまな、朽ちていく(過ぎ去っていく)「食べ物」「飲み物」「祝いの席」が用意されています。
しかし、主イエスがもたらす、新しい「祝いの席」、真においしいぶどう酒と食卓の席は、このわたしたちの教会において、今も実現され続けています。

今年、わたしたちはこの祝いの席に招かれている者として、自分にはどんな信仰生活をささげて参加することができるのか、よく考える機会としましょう。
まずはそれぞれの家庭において、そしてまた「神の家族」であるこの教会のつどいにおいて、イエスが示された「極みのおいしさ」、自分を与え尽くすという活動を、わたしたちが積極的に味わっていくものとなれますよう、互いに協力しあいましょう。

教会報 2016年2月号 巻頭言

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