2017年8月

守りたいこと
ルカ 姜玟周神父

「キリスト教というか、カトリックでは先祖へのお祈りがありますか?」
と刑務所にいるある人から尋ねられた。
何故だろう。
キリスト教であれ他の宗教であれ、一体どの宗教で、亡くなられた方のための祈りが無いと言えるのであろうと思っていた。
そうしたら、その人はあるキリスト教系の本にとても感銘を受けて、そちらへ手紙で問い合わせをしたらしい。
亡くなられたご両親のことを思い、何かお祈りをしたくて。
しかし、返事にショックを受けたようだった。
先祖を拝むことをはじめ、カトリックのマリア様への尊敬、取り次ぎを願う祈り全てが偶像崇拝であるので、自分たちのところにはそのような祈りが無いとの返事だったそうだ。
直接その返事の手紙を見たわけではないので、なんとも言えないが、その人にとって、亡き親への思いは大切であろう。

自分にとって大切に思っていることは誰にでもある。
信念とまでは言わないが、わたしたち皆そういうものを持っている。
しかし、それによって誰かが傷つくのであれば、それはどうなのだろう。
守るべきことであるか、それとも譲るべきことであるか判断はとても難しい。

広島の原爆ドームの向かい側で取材に応じた方の話を思い出す。
8月になると様々な団体が原爆ドームの所で追悼行事やイベントなどを行う。
その時、音楽をかけたり、騒いだりする。
最近までそれが不満だったと言っていた。
原爆投下後、遺体があまりにも多くて、その場でそのまま葬ったらしい。
だから、人のお墓で騒ぐことに対して賛成できなかった。
しかし、ある時、そこで葬られた方の中には子どもや音楽が好きだった人もいるはずだと思い直したようで、その騒ぎに反対できなくなった。

8月15日の日本。日本の教会には色んな思いがある。
「終戦」「お盆」「マリア様の被昇天」など。
どれも忘れてはいけないことであろう。
「平和」「家族」「信仰」「つながり」とても複雑な気持ちで迎えるこの8月に改めて、本当に大切なこと、守りたいことについて考えてみたい。

「わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではない」(マタイ9・13)

教会報 2017年8月号 巻頭言

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