2019年12月

普段の生活の中での目立たぬあかし
教皇フランシスコ

日本の教会は小さく、カトリック信者が少数派であることは知っています。
しかし、それが、あなたがたの福音宣教の熱意を冷ますようではいけません。
皆さん各自の状況において、人々に示すべきもっとも強く明白なことばは、普段の生活の中での目立たぬあかしと、他の宗教的伝統との対話です。
日本のカトリック信者の半数以上を占める多数の外国人労働者を親切に受け入れ世話することは、日本社会の中で福音のあかしとなるだけでなく、教会があらゆる人に開かれていることの証明にもなります。
わたしたちのキリストとのきずなは、他のどんな結びつきやアイデンティティよりも強く、あらゆる現実のもとに届き触れうるものであることを示すからです。・・・

わたしたちは、日本の共同体に属するある人々のいのちを脅かす、さまざまな厄介ごとがあることを意識しています。
それらは、いろいろな理由によるものの、孤独、絶望、孤立が際立っています。
この国での自殺者やいじめの増加、自分を攻めてしまうさまざまな事態は、新たな形の疎外と心の混迷を生んでいます。
それがどれほど人々を、なかでも、若い人たちを苛んでいることでしょう。
皆さんにお願いします。若者と彼らの困難に、とくに配慮してください。
有能さと生産性と成功のみを求める文化に対し、無償で無私の愛の文化が、「成功した」人だけでなくどの人にも幸福で充実した生活の可能性を差し出せる文化が取って変わるよう努めてください。
日本の若者は、自分たちの熱意とアイデアと力をもって、またよい教育と周囲のよい助けを得て、同時代の仲間にとって大切な希望の源となり、キリストの愛を生き生きとあかしする生きた証人となれます。
ケリグマ(福音の告知)を創造的に、文化に根ざした、創意に富んだしかたで行うなら、それは理解を求めている大勢の人に強く響くでしょう。

収穫は多いけれども働く人は少ないことを知っています。
だからこそ、皆さんを励ましたいのです。
家庭を巻き込む宣教のしかたを考え、生み出し、促すことです。
またつねに現実を直視しつつ、人々のところまで足を踏み入れるための養成を促進することです。
どんな使徒職の出発点も、人々が普段の生活をしている、その場から生まれます。
その場所に、つまり、町中や仕事場、大学の中にいる人々のもとにまで行って、思いやりとあわれみの福音を携え、わたしたちに任された信者たちに寄り添わねばならないのです。

教皇の日本司牧訪問 講話「日本の司教団との会談 東京 2019年11月23日」より抜粋

教会報 2019年12月号 巻頭言

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