2020年10月

わたしの召命は愛である
御前(みさき)ザビエル

皆さんが10月号の浦和教会だよりを手にするときには、すでに1日の「幼いイエスの聖テレジア」の記念日は過ぎているでしょう。
わたしは皆さんのために、またこの教会を訪れる人々のために、保護聖人の幼きイエスの聖テレジアに祈りました。

この聖人は、カルメル会での修道生活は10年弱でしたし、また、修道院の禁域から出たことが無かったにもかかわらず、宣教保護者として認められました。
カルメル会に入った時からテレジアは、キリストに対する愛に燃え、この世の初めから終わりまで、神の愛を知らない人々に告げ知らせる決心をしていました。
遠くまで福音を知らせることはできないけれども、自分の召命を探そうとしていました。
教会のさまざまな使命の中で、「わたしの召命は愛である」と確信しました。

ある日、すでに結核がひどくなっていたけれども、苦労しながら回廊を歩いていたときに、「シスターテレジア、休んでください」と言われたところ、「苦労する宣教師のために歩きます」と答えました。
愛をもって、毎日の苦しみをささげて生きていました。

当時、修道院は外の世界との交流が制限されていましたが、テレジアは院長の許可を得て、自分の祈りを願った2人の宣教師と手紙を交換していました。
1人は、アフリカで活躍する宣教会の会員で、アフリカに派遣されたベリエル神父、もう1人はパリ外国宣教会の会員で、中国に派遣されたルーラン神父でした。
宣教師に送った手紙でテレジアは、自分の霊的な歩みを素直に分かち合って、2人を励ましていました。
中国で福音宣教に励んでいた神父さんに、次のように書きました。

「敬愛する兄弟、わたしが歩もうとする道は、信頼と愛そのものです。
頭を悩ませ、心を渇かしてしまう難しい書物を横において、聖書を開きます。
みことばの一つだけで、無限の展望が開きます。
自分の小ささを認め、いつくしみ深い神の腕の中に、自分を子どものように委ねます」

テレジアは自分が弱い者、小さい者であるとよく知っています。
子どものように、恐れずに神のうちに自分を委ね、愛に導く信頼の道を歩もうとしていました。
料理、掃除、洗濯、すべてにおいて愛をもって生きていました。

病気の苦しみが強くなったとき、また、神を信じ、愛しているのに、まったく何も感じられずに暗やみの中にいた霊的な試練のときにも、罪人の回心のために、信頼の道を歩み続けました。
テレジアのように、わたしたちも神の無限の愛とあわれみに自分を委ねて生きていきましょう。

教会報 2020年10月号 巻頭言

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