2022年4月

堅信の秘跡について
御前(みさき)ザビエル

6月12日、三位一体の主日に、浦和教会では堅信式が予定されています。
洗礼および聖体と一緒に組み合わされ、「キリスト教入信の秘跡」と呼ばれる堅信の秘跡は、「一人前」のキリスト者になるには欠かせない大事な秘跡です。

求道者にキリストへの信仰と生き方を紹介するなかで、洗礼と聖体はともかく、堅信についての話になると、聖霊をどういうふうに説明したらいいのか、また堅信の秘跡についてどう伝えられたらいいのか、信仰教育に携わる人の中で悩まない人はいないでしょう。
しかしこの秘跡の歴史をちょっとでも把握していると、その意味と位置付けがよく分かると思います。

4世紀まで現在の堅信の秘跡は、独立した形として存在していませんでした。
長く準備してきた求道者は復活徹夜祭のとき、二つの秘跡、洗礼と聖体を受けます。
洗礼は、受けるかたを神の子どもとして、救われた者の共同体の一員にし、彼らに聖霊を与えます。
ご聖体は、キリスト者として生まれたばかりの人を復活されたキリストの体で養います。
その二つの秘跡は司祭と助祭に囲まれた司教によって授けられていました。

ところが4世紀から年々、幼児洗礼や農村地区に発展してきた小教区の増加などによって、司教は司教座聖堂で洗礼を授け、農村地区では洗礼式を司祭にゆだねることになりました。
つまり、洗礼の秘跡は司祭に授けてもらい、秘跡として独立した堅信は、司教が村々を司牧訪問したとき、新しい受洗者の額に聖香油を注ぎ、授けるようになりました。
司教は、洗礼を受けた一人ひとりの信仰の歩みを承認(ラテン語でConfirmatio)しました。
日本語で堅信という呼称は、この秘跡が洗礼のとき宣言した信仰を強め、洗礼の恵みを開花させ、強化するということを表しています。

中世に入り、12世紀ごろには秘跡として完全な形を整えてきた堅信でしたが、実際にはそれほど授けられていませんでした。
司教が馬に乗って農村地区を司牧訪問する通りがかりに、子どもとともに畑仕事をしている親に引き留められ、子どもの額に聖香油を注ぎ、堅信を授ける程度でした。

かなり複雑な歴史をもつこの秘跡ですが、もうすでに洗礼をとおして神のいのちに新しく生まれたのですから、洗礼に欠けている何かを与えることではありません。
洗礼式のときに、「神の民に加えられた方は、神ご自身から救いの香油を注がれ、大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きるものとなります」と宣言され、またその後、司祭は一人ひとりの額に聖香油を塗ります。
疑いもなく、洗礼をとおして受洗者の心に、愛である聖霊が豊かに注がれています。
しかし堅信は、洗礼によって神の子とされた人を、勇気あるキリストの使徒とする秘跡です。

この複雑な世界にあって、堅信をとおして「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し、敬う心」をいっそう豊かにいただけることは、とてもありがたいことです。

教会報 2022年4月号 巻頭言

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