教会報の巻頭言

ミサ・感謝の祭儀
御前(みさき)ザビエル

新型コロナウイルスによって、公開ミサは中止となっていましたが、3月28日より公開され、主の復活を祝うことができました。
ミサなしの辛さを感じていただけに、主の復活の喜びをより大きく味わえました。

1975年、北ベトナムから南ベトナムヘ共産党軍が入りました。
同じ年、ローマで1人のベトナム人のイエズス会司祭が、神学の勉強を終えて帰国しようとしていました。
彼は責任者に帰国したいと願い出ました。
早く帰らないと入れないだろうと思ったからでした。
この神父さんがベトナムに帰った後まもなく、予想通り共産党軍は南に入って来ました。
最初はわりあい自由に活躍できましたが、6年後の1981年、たくさんの司祭、修道者、キリスト者が逮捕されました。
容疑は「反革命活動」でした。
この神父さんも逮捕されて、3年間厳しい刑務所に入れられました。
たくさんの人が閉じ込められている狭い部屋で、寝る場所は25センチ四方しかありませんでした。
ミサはもちろんたてられません。
そこで彼は、皆が寝静まっているときに、暗記しているミサのことばを繰り返して祈っていました。
この神父さんは、逮捕されて3年後に強制労働収容所に送られました。
そこには800人くらいが収容されていましたが、幸いにもこっそり隠れて何人かのキリスト者たちとともにミサをささげることができました。
もし看守が入って来れば、すぐミサを中断しておしゃべりをしているふりをしたのです。

現在は、人類を脅かす感染症のパンデミックの影響を受けていますが、普段わたしたちは自由に、割と簡単にミサに参加できます。
もしかしたらミサに慣れてしまっているかもしれない。

ミサは長い歴史の祭儀です。
教会の始まりを描く「使徒言行録」に次の記述があります。
ある時、パウロを囲んでいたキリスト者の家に、夜、人が集まり、パウロは翌日出発するので、いる間にイエスのことばと行いを思い出して、パンを割きました。
使徒たちはイエスとともに歩み、イエスの生き方に感動し、イエスのことばを聞き、イエスの死を見、復活されたイエスに出会って、イエスのうちに神ご自身がいてくださると信じました。
初代教会のキリスト者は、使徒たちの指導のもと、イエスの死と復活をたたえ、記念するために集まっていました。
わたしたちもミサにあずかるとき、神のことばを味わい、キリストの復活をたたえ、キリストのからだを生きる糧としていただきます。
こうしてイエスを記念して、神を賛美し感謝します。

神に感謝したいから、自分の1週間のすべてをささげたいから、誰かのために祈りたいから、そして「キリストによってキリストとともにキリストのうちに」神を賛美したいから、ミサに参加します。
同時に、一つの民、一つの共同体、一つの教会として、イエスの復活のゆえに、神に賛美と感謝をささげます。
祝われた神秘は、わたしたちが家庭や仕事場などで担う責任と無関係ではありません。
先ほどのイエズス会の神父さんと一緒にいた囚人にとって、収容所でたてられたミサは計り知れない力となっていました。
感謝の祭儀からわたしたちの心に、泉のように神の恵みが注がれているのは、日常生活の場で、感謝の心をもって人々に仕えるためです。

コロナウイルスの時代、望むようにあずかれないミサの素晴らしさを再発見しましょう。

教会報 2021年5月号 巻頭言

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