教会報の巻頭言

敬老の日を迎えられる方々へ
御前(みさき)ザビエル

9月20日に敬老の日を迎えられる方々に心からの喜びを申し上げます。
皆さまのために、とくにお祈りしています。

一人ひとりの心にさまざまな思いがあることでしょう。
年をとることに対して、二通りの見方があると思います。
健康の面、精神的な面で、少しずつ弱くなっていく自分を見て悲しくなる、という見方があります。
また、ある年齢を超えて、もてはやされ、ほめそやされる自分を見てちょっと寂しい思いがするかもしれません。
他方、もう一つの大事な見方もあります。
年をとることは確かに弱くなっていくことですが、それをとおして、長い人生を支えてくださった神の愛に感謝できる、という見方です。

若い世代はまだその体験をしていないかもしれませんが、年をとるにつれて、自分につきまとっている複雑な気持ち、特別な悩みと闘いながら、神のいたわりのうちに最後まで美しく生きる方々もいます。
わたしたちは、人生の間に「喜びと希望、苦悩と不安」を体験して、いのちを与えてくださった神に感謝します。
人生をとおして、深い信仰、揺るぎない希望、謙そんな愛をもたせていただいていることに感謝します。

年をとったからといって、その高齢者を特別な階層として見なすのは望ましくないことです。
現代では年をとるにつれて充実した生き方、人々のために役立つ生き方をする方がとても多いのです。
わたしの父は94歳、母は101歳で天に召されました。
二人とも長い人生に恵まれたことを思い出すと、いのちの源である神の恵みの素晴らしさを感じます。

年をとっても心は若い、自分の体験を生かしたい、自分の可能性を皆のために役に立てたい、そして、人生の秋に深められた信仰の喜びを次の世代に伝えたいのです。
確かに人生の秋には、身体的にも精神的にも特別な苦しみがあるに違いありません。
しかし今まで体験していなかった喜びもあります。
今まで味わっていなかった愛、それに、使命感もあるでしょう。 

神と人を愛する、その愛を実践するには一生涯かかることでしょう。
ある程度の年になっていなければ、本当に神を愛するとは言い切れないでしょう。
長い人生のいろいろな体験、喜び、苦しみをとおして、神を愛すること、人を大切にすることを悟っていきます。

イエスは「隣人を自分のように愛しなさい」と仰せになりました。
自分を愛するにも、長い時間が必要です。長寿に恵まれている方々は、根本的な掟である自愛、隣人愛、神に対する愛をよく悟ることができます。
その時になって、詩編95章6節にあることばを、自分の祈りにすることができます。
「身を低くして伏し拝もう、わたしたちを造られた神の前に」。
若さにあふれる、力がある時には、心の底からこういう祈りはできないかもしれません。
ある年齢になって、いよいよ真心を込めて、こう祈れるのではないでしょうか。

教会報 2021年9月号 巻頭言

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