教会報の巻頭言

聖ジャンヌ・ダルクおとめ
中嶋 義晃 神父

ジャンヌ・ダルクはフランス北東部のドンレミー村の農家に1412年に生まれました。
敬慶な両親に見習い、信心深く、毎日家事の手伝いや羊の番をし、時には病人の世話や貧者への施しをしていました。
当時、フランスでは英仏百年戦争が始まり、国内は王族が分裂して危機の状態でした。
ジャンヌは、幼いながらも祖国の危機に心を痛め、毎日祈っていました。

1425年、彼女が13歳の時、生家の庭で天からの声を聞きました。
「敵をフランスから追い出し、亡命中の皇太子をシャルル7世として戴冠せよ」と。
ジャンヌは3年の間、繰り返されるお告げを比較し、吟味して、ついに神の道具となる決意をしました。

しかし、仏軍の司令官は彼女のことばを信じなかったので、仏軍はオルレアンの近くで敗北するだろう、ということを彼女は予言しました。
そのとおり、仏軍は敗北。
神学者たちは、ジャンヌが神から啓示を受けたことを認め、彼女は仏軍を率いる許可を得ました。
彼女は白い軍服を着て馬にまたがり、英軍に包囲されたオルレアンに進撃し、解放しました。
第2、第3と勝利を得て、皇太子をシャルル7世として王位に就かせました。

ジャンヌはシャルル7世の地位を固めるため、パリ奪還を狙いましたが、国王側近は現状の戦果に甘んじたため、孤独な戦いを強いられ、1430年5月、ジャンヌはコンピエーニュで英軍と結ぶブルゴーニュ派貴族軍に捕らえられました。

その後、親英派のボーヴェの司教コーションは、代理裁判長として1431年初めから60人余りの陪審判事(聖職者たち)を立ち合わせて、ジャンヌをルーアンで教会裁判にかけました。
数カ月の異端審問の末、ジャンヌが聞いたとする「声」は少女の作り話、「妖精の木」からのささやきとねじ曲げ、しかも男装したと断罪しました。
これに承服しないジャンヌを異端者として破門し、1431年5月30日、ルーアンで火あぶりにし、炎の中でジャンヌは、「イエスさまー」と何度も叫びながら息絶え、亡きがらの灰はセーヌ川に流されました。
当時の西欧人の感覚から見れば、この処刑法は、肉体の復活さえ認めない、極刑中の極刑でした。
その25年後、教皇カリスト3世によって、宗教裁判のやり直しが命じられ、無罪の判決をうけてジャンヌの名誉は回復されたのです。

教会報 2024年5月号 巻頭言

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