教会報の巻頭言

聖ペトロ使徒
中嶋義晃神父

ペトロは、名もない漁師で、ごつごつした熱血漢、短気な上に、せっかちでうぬぼれが強く、いつもボロを出していたので、幾度かイエスから叱られ、戒められながら、謙虚に自分の短所を直していきました。
一方で、人一倍、キリストに対する信仰と愛を全身全霊で示した人です。

ペトロは、ゲネサレト湖畔のベトサイダの貧しい漁師ヨナとヨハンナの子として生まれ、弟アンドレとともに漁をしながら、信心深い生活を送っていたといわれています。
ペトロは、漁をしているとき、イエスから「人をすなどる者にしよう」と言われ、イエスの後に従いました。
彼の名は、はじめはシモンでしたが、イエスが「岩」を意味する「ペトロ」という名前をつけられました。
のちにイエスから、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
あなたが地上でつなくことは、天上でもつながれる。
あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16・18〜19)と約束されました。
復活されたイエスからは、「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、ローマ教会を導きました。

67年、皇帝ネロによってキリスト教迫害が始まったとき、信者たちの勧めでローマを脱出しようとしましたが、そのとき、十字架を背負ったイエスに出会いました。
ペトロが、「クオ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、どこに行かれるのですか)と尋ねると、イエスは「わたしは、ふたたび十字架につけられるためにローマに行くところだ」と答えられたといいます。
ペトロは、それを聞いて自分の使命を悟り、ローマにすぐに引き返し、進んで十字架に逆さまにつけられて殉教しました。
ペトロが処刑された場所に、聖ペトロ大聖堂が建てられています。

ペトロは、ローマの司教を33年務め、その最期を遂げたといわれています。
なお、ペトロの遺体は現在の聖ペトロ大聖堂の下に埋葬されたとされています。
それからアドリミナ(お墓参り)といって、世界中の司教は、国毎に5年おきに聖ペトロと聖パウロの墓に巡礼し、一人ひとり、教皇に自らの教区の現状報告をしています。

教会報 2024年6月号 巻頭言

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