教会報の巻頭言

聖ニコラオ司教-その1
中嶋義晃

ニコラオは270年頃、小アジア(現トルコ)の南部、パタラに生まれました。
財産家の信心深い両親に見守られて、ニコラオは知恵にも善徳にも優れた人となりました。

両親の死後、莫大な財産を相続しましたが、情け深いニコラオは、それを貧者、病者、囚人にあげようと決心をしました。
その慈善の一つに次の話があります。

近所に貧しい靴職人が住んでいました。
3人の美しい娘がいましたが、父は貧しいので、嫁入りの支度金をどうしても用立てることができませんでした。
そのうちに、父の心に魔が差して娘たちを売春宿に売り飛ばそうとしました。

ニコラオはそれを知って気の毒に思い、どうにかしてこの計画をやめさせようと決心しました。
ある夏の晩、一人の娘の嫁入りに必要なお金を布切れに包み、それを靴職人の2階の窓の中にポンと投げ入れ、急いで暗闇に姿を消しました。

靴職人一家は、このお金は天のお恵みだといって神に感謝し、長女の結婚を滞りなく済ませました。
しばらくして、ニコラオはまた次女の嫁入り金を同じように投げ入れました。
靴職人の主人は、この名も知れない恩人は誰なのか、ぜひ知りたいと思うようになりました。

そして三女の嫁入り金を2階に投げ入れたときのことです。
靴職人の主人はお金の音に目を覚まし、急いで2階を駆け下り、暗闇に逃れたニコラオに追いつきました。
そしてニコラオの前にひれ伏し、「あなたはわたしどもを救ってくださった恩人です」とニコラオの足に接吻しようとしました。
ニコラオはこれを押し止め、このことを人に話さないように誓わせました。

この伝説から、多くの地域で、聖ニコラオの記念日には、貧しい娘たちに持参金を包んであげる習慣が生じました。
その後、ニコラオは哲学、神学を学んで司祭となり、エーゲ海に面したトルコ南部のミュラで宣教・司牧しました。
その後ミュラの司教が亡くなり、その後任となりました。

ある年のこと、ミュラ地方は飢饉に襲われました。
ちょうどその時、エジプトのアレクサンドリア港からビサンチンへ向かう、麦を満載した船が数艘、嵐にあってミュラの港に避難してきました。
司教は、早速船団の司令官を訪ね、「ミュラの人々のために、各々の船から、10キロだけでもいいから麦をめぐんでください」と頼みました。

初めは断った船長も、司教の度重なる願いに動かされ、しぶしぶ承諾しましたが、のちにビサンチンに無事入港して、荷を調べてみると、不思議にも量は元に戻っていました。

一方ニコラオは、この麦を貧しい人々に分けました。
2年の間、食料で困ることなく、畑にまく種も十分できたといいます。

《 2026年1月号に続く 》

教会報2025年12月号 巻頭言

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