教会報の巻頭言
聖マルコ福音記者〜その2
中嶋義晃
《5月号から続く》
48年、第1回伝道旅行から帰ったパウロは、エルサレムに集まった使徒たちにその経緯を報告するとともに、将来の方針、その他種々の問題についてペトロおよび他の使徒たちの意見を求めました。
翌49年にはパウロは再度の伝道旅行を企てます。
その同伴者としてバルナバの協力を求めますが、バルナバはマルコを連れて行くように願います。
パウロが断固として拒絶したので、ついに2人は衝突して別れてしまいました。
そのために、パウロはシラを連れて小アジアに赴くことになり、他方バルナバは、マルコと共にキプロス島に渡りました。
2人は、宣教の熱意に燃えていたのでキプロス島にとどまらず、北アフリカ開拓の先駆となりました。
すなわちマルコは、アフリカのアレクサンドリアに教会を創立し、その初代司教になったと言われています。
なおマルコは、正教会(ギリシア正教)とコプト正教会(非カルケドン派)の両派で初代アレクサンドリア総主教とされています。
マルコは62年頃ローマにいました。ペトロに同伴し伝道に携わりながら、ペトロの通訳を務めていました。
そしてマルコは、ローマで再びパウロに会うことになります。この時にはもはや、両者の間に先の対立の感情が露ほどにも残っていませんでした。
聖人たちも欠点をもち、度々つまずくこともありますが、2人の霊的な精神は、たゆみなく進歩したのです。
それだけでなく、マルコはパウロにとってもっとも親しい協力者とまで見られるようになりました。
パウロはその頃、コロサイの信者、フィレモンに書をしたため、「わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです」(フィレモン24)と書いています。
当時マルコはルカとともにローマに滞在し、パウロと親密であったことがうかがえます。
また、パウロはこの世を去る前に、テモテとマルコに会いたいと思って、テモテにこのように書いています。
「ぜひ、急いでわたしのところへ来てください。デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行っているからです。ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです」(二テモテ4・9〜11)。
教会報2025年7月号 巻頭言