2004年5月

神のみ前の役割
鈴木三蛙神父

杉戸町では、これまで行われていなかった月曜日にも、ゴミの収集が行われるようになりました。
月曜から金曜まで、5日間毎日収集が行われているのです。
この1日増えた月曜に収集されているのは、ペットボトル以外のプラスチック類です。
これまで燃えるゴミとして出されていたプラスチック類が、4月から資源ゴミとして分類されるようになったのです。
今回説明を受けてはじめて知ったのですが、集められるプラスチック類はよく見ると、包装用の物も食べ物の入っていた容器も、レジ袋も、めだたないところに「プラ」と書いてあります。
そしてこれを集めてみるとゴミのほとんどがプラスチック類なのです。
私たちはいかに多くの石油製品を使っているか、そして何と多くの物を再利用せずに捨てていたのか、改めてそのことに気づかされました。

いま杉戸のじりつ村では、説明書を片手に障碍者たちと毎朝ゴミの分別作業にてんてこ舞いしていますが、神様のつくられた世界は実にすばらしい。
自然界ではすべてはリサイクルされています。
私たち人間だけがリサイクルもせずにゴミを捨て続けてきて、いま地球温暖化による異常気候と、オゾン層減少からくる生命の危機に直面、自然環境破壊のツケを払わされようとしています。

神は創られた世界を見て、すべてを善しとしました。
障碍者もそうでない者も高齢になってかつてのように働けなくなっていく者も、全ての人は神のみ前に善いのです。
神が善しとされたのですから、この世界に属する全ての人は、神のみ前に何らかの役割があるというべきです。
新しい規約が出来て来春より教会の組織は一新します。
そこでも私たちすべてに、神さまのみ前での役割があるのです。
お互い謙遜に、その役割を果たしましょう。

「目が手に向かって『お前はいらない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちはいらない』とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」-コリント12・21

教会報 2004年5月号 巻頭言

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