2005年6月

弱さを知ることは神の愛を信じること
藤田恵神学生

神学生という言葉から、皆さんはどんなイメージを連想するでしょうか。
「将来の神父さんの卵」「神様から召命を受けた人」「侍者の指導をする人」と言われるとホッとしますが、「教会のコメ食い虫」と言われた暁には、目も当てられません。
よいイメージが強いとすれば、諸先輩方の努力の賜物と言ってよいでしょう。

今、私は浦和教会で奉仕させて頂いていますが、果たして自分は何を残していくのだろうかと、思い巡らさずにはいられません。
関わることは、人々の心に思い出を残していくことですから。
ただ私なりに漠然とした目標になっているのは、子供たちが教会を好きになって欲しいということです。

 「ふれあいくらぶ」「侍者会」「中学生会」に顔を出すと、元気いっぱいの子供たちが大勢います。
私は彼らの精神的な兄貴であり、遊び相手でいたいと願っています。
ひとりっ子の私は、本当は子供との触れ合いが不得手です。
ですから神様から頂いた「αγάπη(アガペー、愛)」を通して、子供たちと関わっていくしかありません。

ちょっと感動すると涙腺がゆるくなる頼りない神学生ですが、一つの確信があります。
どんな試練に合おうとも、「わたしは弱いときにこそ強い」(二コリント12・10)
という使徒パウロの言葉が、私の心の支えであるということです。
わずか三十数年の人生ですが、自分の弱さを痛感させられました。
しかし自分の弱さを知ることは、すなわち神の慈しみの愛を信じることです。

今月29日は、聖ペトロ・聖パウロの祭日です。
パウロは自分の弱さを痛いほど感じている人でした。
しかしだからこそ神の力が最大限に発揮され、ローマで殉教しました。
社会という大きな存在の前に、私達はしばしば無力です。
しかし弱い私達を、愛してやまない慈愛に満ちた主の眼差しを、見出してみてはいかがでしょうか。

教会報 2005年6月号 巻頭言

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