2005年7月

恐れをなくすには知ること
鈴木三蛙神父

先日NHKスペシャルで放送された、中国のエイズ患者たちが置かれている立場と、自分たちの病気を理解してもらうために上演した体験劇についての報道番組を見た。

知らないと言うことは不安を生む。

患者の一人、孟靜さんが言う。
「ネズミが横切ると、みんな叫んで叩こうとするでしょ。そんなのたまらないわ。ただ人間らしく生きたいんです。」

彼女がエイズにかかったとき、母から家を出ていくように言われた。
失望して自殺を図るが周囲の励ましによって生きる希望を取り戻し、両親に見てもらいたいと体験劇を上演する。
小さいときから人前で話すのが苦手で、せりふもなかなか覚えられず、泣きながら練習した。

「今度エイズに関する劇があります。見に来てください。」
という案内を受けた街の人たちは、患者たちの上演する劇だと聞くと、
「行かない行かない」
と一様に手を横に振る。
それでも熱心な説得によって多くの人が集まった。

「麻薬に手を染めエイズになった娘を許せないんです。」
という母。

患者たちは
「どうやって生きていけばいいか判らない。考えたくもない。みんなが俺たちを受け入れてくれればいいんだ。そうすれば仕事だって出来る。」
そんな想いの中で、劇を上演した。公演三十分前、孟靜さんの両親があらわれ遠くから劇を見守った。
二十年ぶりの再会だった。

劇の後観客の一人は
「簡単に感染すると思ったから怖かったのよ。エイズは死に至る病でしょ」
と言い訳をしていたが、自分も同じだった。
独断と偏見で患者たちを裁いていた。

「ウイルスだけが人を殺すのではない。差別も人を殺すのです」
という患者たちの声が印象的だった。

少しずつ理解は広がっているようであったが、彼女は公演の後アパートからの立ち退きを迫られた。

恐れの心は差別を生みやすい。
それをなくすには知ることである。
正しく理解しようとする姿勢が必要である。
「小さきものの一人を受け入れる・・・」
イエスの言葉に従うのは一見簡単なようだが、積極的な姿勢が求められる。

教会報 2005年7月号 巻頭言

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