2005年11月

冷たい国の民のひとりとして
齋藤紳二助祭

私が訪問している茨城県牛久市の外国人収容センターに、ひとりのアフリカ出身の青年がいます。
22歳。長身のがっしりした体格で、サッカー好きの好感のもてる若者です。

彼の故国は農業国ですが、特産品のダイヤモンドで外貨を稼ぎ、経済的に安定した平和な国でした。
ところが、部族間の勢力争いから内乱が始まります。
彼は隣の国に逃げ難民キャンプにたどり着きましたが、実はその国も内乱で毎日血が流されていたのです。

アフリカに見切りをつけた彼は、先進国に逃れて生きながらえようと計画しました。
まず、父親の車を売って渡航費用をつくり、大きな国々の大使館に行って、渡航の相談をしようとしました。
しかし、どの大使館も、ガードの兵士が難民キャンプから来た少年を入れてくれません。
事情を説明しても、門をくぐることさえ許されなかったそうです。

ところが、兵士にガードされていない大使館がたったひとつだけありました。
日本の大使館でした。
入国のためのビザを申請すると簡単に発給してくれたので、彼は「日本は難民をあたたかく迎えてくれる国だ」と確信したそうです。

しかし、現実は逆でした。
日本到着直後に難民申請しましたが認めてもらえず、再度の申請も却下。
彼は、国を失った人々をあたたかく保護すると思っていた日本という国が、実は冷淡な国であることを思い知らされました。
そうこうしているうちにオーバーステイになり、銀座を歩いているときに警官に呼び止められて拘束され、そのまま収容されてしまいました。
建物から一歩もでられない収容生活がはじまり、まもなく一年がたとうとしています。

いったんは信頼し、期待した日本という国に裏切られ、希望を失いつつあるこの青年を、日本人である自分がどう励まし、どう慰めればよいのか、答えがみつからず途方にくれています。
自分も彼を苦しめている元凶のような気がするからです。
せめて、自分だけは「あたたかな心で」接することができるようにと思うばかりです。

教会報 2005年11月号 巻頭言

Script logo