2006年8月

依存の綱を断ち切って
齋藤紳二助祭

毎年6月に、さいたま教区の聖職者と修道者が一同に集まり、研修会が開かれます。
今年の研修のテーマは「依存症について学ぶ」でした。

覚せい剤やアルコール、シンナーなどにおぼれた経験をもつ何人かの人たちが体験談を聞かせてくれました。
報道などから得た漠然とした知識しかもっていなかった私は、その実態の恐ろしさに改めて心が凍る思いがしました。
同時に、現代社会の中に無数の依存症が存在することを知ったのも驚きでした。

市販の頭痛薬を1日に50錠も飲まないと生活できない人、パチンコをしていないと不安になる人……
さまざまな「もの」に依存しないと不安で生きられない人がいる一方で、30歳を過ぎても精神的に親に依存しないと生きていけない子、子離れができず子に依存している親など、要するに精神的に自立できない人が大変多いのだそうです。

体験談を聞き終わって雑談をしているとき、だれかが「教会依存の信者もいるね」と口を切りました。
すると、「いや、信者依存の神父もいるだろう」と応じる声が上がり、「信者と神父はお互いに依存しあった、いわゆる共依存だよ。へたすると共倒れになるぞ」という声も聞こえました。
ひとしきりこの話題で持ちきりだった雑談をしめくくったのは、司教様の一言でした。

「神父も信徒も自立していないと、協働宣教司牧は失敗する」

協働宣教司牧が教区の課題となってから2年を過ぎました。
2008年にはこの体制が教区全体でスタートすることになっています。
あと一年半の間に、小教区が自立するとはどういうことか、信徒が自立するとはどういうことか、私たちはしっかりとつかんでおかなければならない、と感じました。

教会報 2006年8月号 巻頭言

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