2007年2月

みかけと中身
齋藤紳二助祭

牛久の外国人収容所から、先日ひとりの人が出所しました。

その夜の彼の宿を確保しなければなりません。
幸い彼の友人が泊めてくれるというので、上野駅で待ち合わせることになりました。
ところが、時間になっても友人は現れません。
電話をしたところ、都合が悪くなって泊めることはできないというのです。

彼の友人にかたはしから電話をかけましたが、誰にも連絡がとれません。
仕方なく、ある団体から安く泊まれる宿を教えてもらい、彼と一緒にその宿に行きました。
そして、ゲスト・ルームと名づけられた宿の中を一目見て、びっくりしてしまいました。

8畳ほどの室内に2段ベッドが7、8台置いてあります。
トイレと小さな流し台があり、空いたスペースに小さなこたつ、その前にテレビが1台。ベッドの間は体を斜めにしてやっと通れるくらいの隙間があいているだけ。
壁には宿泊客の衣類がかかっていて、あちこちに荷物が置かれていて、雑然とした感じです。

驚いたことにいくつかのベッドには女性用の衣類が置いてあります。
男女が仕切りも無い部屋に一緒に宿泊しているのです。
没落した人間の吹き溜まりのようで、長い収容生活で傷んだ体を休めるところではないと感じました。
しかし、他にあてがないままに、その夜はそこに泊まってもらいました。

翌日彼と落ち合ったとき、まず、この宿のことを尋ねました。
意外にも、彼は「よい経験だった」と喜んでいるのです。
同室者は男性4人、女性5人。
「みんな真面目な良い人たち」だったと彼は言います。
受験のために上京した学生、仕事を求めてやってきた外国人、アパートに入居する収入はあっても権利金・敷金が払えないのでこのハウスで過ごしている人……
皆一生懸命に生きている人たち。
仕事や勉強を終えて帰ってきた彼らと経験を語り合って、とてもよい雰囲気だったそうです。

室内の有様を見ただけで、うさん臭いと感じてしまった自分、1泊1,600円の宿で体を休めながら、真剣に生きている人たちがいることを知らなかった自分が、恥ずかしくなりました。
このような無知が差別につながっていくのかも知れないとつくづく思いました。

教会報 2007年2月号 巻頭言

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