2007年7月

相手の思いに耳を傾け
鈴木三蛙神父

6月25、26、27日の3日間、中軽井沢の黙想の家でさいたま教区の司牧者大会がありました。
研修のメインテーマはマタイ11・28「疲れたもの、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

発表事例と研修内容はハンセン病に対する教会のこれまでの取り組みについての総括でした。

ライ予防法は患者を捜し出して強制的に隔離し、子供も産ませず、収容施設に閉じこめたままハンセン病患者が日本から絶えるのを待つ法律でした。
ハンセン病根絶の思想に基づく患者の終生隔離、絶滅政策・・・
そしてこの法律はハンセン病の特効薬ができ、町中で治療を受けながら生活することが可能となった後も廃止されることなく生き続け、1996年まで隔離政策が継続されてきた、そこに問題がありました。

教会は人権を無視したライ予防法と国の、政策そのものについては目を向けることなく、そこに収容された人の病の治癒と魂の救いにのみ目を向けてきたと言う反省、教会は一人ひとりの病と魂の問題とは向かい合って来ましたが、本人達が切に望んでいた人権の問題については真剣に向かい合ってこなかった、気付きがなかった・・という反省でした。

司教様はライ予防法が廃止されてしばらく立った時、
「教会はライ予防法が廃止され私たちが喜んでいた時に、ともに喜んではくれなかった」
という声を聞いたが大変ショックだったと、ハンセン病元患者とご自分のこれまでの関わりを話されました。
そして、
「イエス様はエリコの盲人バルティマイをお呼びになった時『何をして欲しいのか』とまず彼らの望みをお聞きになった。わたしたちははたして、イエス様のようにその問いかけをしてきただろうか」
と、反省の弁も述べられました。

物心つかぬ幼児に母親は自分の良いと思うものを与えます。
そしてそれは当然のことと受け止められます。
しかし、自分の意見を持ち、判断力のある大人に対しては、相手の人格を尊重して、まず相手の望むところに耳を傾ける必要があります。

草津にある栗生楽泉園を訪れ、世界に例を見ないライ予防法施行の実態を当事者自身の声として聞くに及んで、これほどの苦しみにあえいでいた人たちのことに無関心だった自分自身の生き方そのものに、大きな反省を求められました。
楽泉園に張ってあった一つの句が印象的でした。
「法廃止 こんなに青い 空だった」
ライ予防法が廃止となったことへの、彼らの思いが伝わってきました。

障害者自立支援法でも、障害者本人の声を聞き、その望みにそっていかに支援していくかが強く求められます。
私はあなたのことを思っているのだから私の言うとおりにしなさい・・と言う態度は、私はこんなにあなたのことを思っているのに・・と言う善意の押し売りになる。

『何をして欲しいのか』
司祭、助祭、シスターなど参加した司牧者達にとって、イエス様のように相手の思いに耳を傾け、その思いに応える態度・・
その大切さが改めて身にしみた大会でした。

教会報 2007年7月号 巻頭言

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