2007年8月

貧困が平和を妨げる
齋藤紳二助祭

何気なしにテレビのスイッチを入れると、ブラジルのスラムに住む1人の少女の生活を紹介するドキュメントが放送されていました。
ご覧になった方もおられるでしょう。

夫に去られた母親と2人の弟妹と暮らす彼女は、「学校に行きたい」と訴えながら、家族の生活を守るために働きずめの毎日を送ります。
住まいはひろってきた板で作った小屋。
早朝に野菜の市場に行き、食べられそうな屑野菜を拾ってくることから1日が始まります。
僅かなお金を稼ぎに出て行く母親と学校に行く弟妹を送り出すと、家事一切が彼女にのしかかってきます。
掃除、調理、洗濯はもちろん、母親を助けるために空き缶をひろってお金にかえたり、母親手作りのコロッケを売りに町に出て行きます。
番組撮影中に、栄養失調と過労で失神し倒れこんだ彼女の手には、稼いだばかりのお札が握られていました。

必死に生きるスラムの子供たちが、丘の上の豊かな家の近くを通ると、「貧乏人、貧乏人」という蔑みの声がかかります。
お金持ちの家の子供たちが、彼らに投げつける言葉です。
「言われても仕方がないよ、だって本当に貧乏なんだもの」と貧しい家の子は言います。
しかし、彼らが成長した後も、こうした蔑みの言葉を平然と受け流せるでしょうか?

平和を妨げることのひとつに、『貧困』があることに気付きました。
貧しい人々に対する差別が生まれます。
差別された側は屈辱と怒りをおぼえ、自分たちを蔑む人に対して恨みを感じるでしょう。
やがてそれが爆発し、争いになる……
世界中で起こっている争いの中には、このような構図で始まった対立がたくさんあるのではないでしょうか。

イエスが「貧しい人々への共感と支援」を説いた2000年前とまったく変わらない現実が今でも世界のいたるところで見られます。
平和について考えることの多い8月、こんな少女1人のためにすら何もしてやれない自分を責める日々になりそうです。

教会報 2007年8月号 巻頭言

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