2008年4月

復活しましたか?
姜玟周神学生

今年1月、年度末試験が迫ってきて、普段していない勉強で大変だった時のことです。
ある先輩が私を見てこう言いました。
「顔が死んでる。」
前にいた教会で、毎朝寝坊する青年が起きたかどうかを聞く神父さんに、他の青年の答え。
「まだ死んでます。」
みな冗談で言った言葉です。
とにかく朝から大笑いでした。

日本語では「死ぬ」ということはただ単にいのちが保たれている状態だけではないみたいです。
本当に生きているというのは何でしょう。
難しいです。

今年は復活祭が早かったため、4月いっぱいが復活節です。
イエス様は毎年(?)十字架につけられ、死んで、復活されます。
私たちも毎年その救いのわざを、救われたことを祝います。
新たないのちを得たことを祝います。
聖週間のミサ、典礼に参加しながら、心の痛みや悲しみ、喜びを感じ、感動し、感謝しています。
少なくとも教会ではそのようにします。

では、教会ではなく、他の所で私たちはどうでしょう。
毎日、同じことを繰り返しながら生きているのではないでしょうか。
復活祭の前の私と復活祭の後の私は何が違うかと思うと、何も変わっていないですね。
半分以上は死んでいるような状態です。

せっかくイエス様からいただいた大きな恵みが無駄になった感じです。
何かが変わってほしいですね。
しかしこのままだったら何も変わりません。
自ら何かしない限り。

今年は別なことをやってみたいですね。
私の中で死んでいるところを見つけて復活させてみたい。
今は持ってないが、前には持ってた私自身、心、気持ち、人との関係など、いろいろあるでしょう。
洗礼、初聖体の時の胸いっぱいの信仰と感謝の気持ち、今の学校に合格した時に持っていたやる気満々の気持ち、人を何の先入観なしで見た目、曲がっていない心、純粋な心など。

私を苦しませるすべての悩みとか不自由、色眼鏡から自由になりたいですね。
私が握っているものを少し手放すと、主が下さった新しいいのちを味わうことができるでしょう。
真の復活、それが何であるかはまだ分かりませんが、少しそこに近づくことになるでしょう。
確かに難しいことです。
今まで生きてきた自分を否定することになるかもしれないので。
でもそのようにして、もう少し明るくて楽しい人生、生き生きとする人生になるのなら、やりがいがあるのでは。

いろんな方法があると思います。
とにかく、今年も来た御復活をお祝いしながらお互いに挨拶したいです。
「あなたも復活しましたね。おめでとうございます」と。

教会報 2008年4月号 巻頭言

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