2008年6月

様々な才能
鈴木三蛙神父

5月28、29日と2日間にわたって教誨師の全国大会が札幌であった。
その初日、北海道生まれの作家、元医師、渡辺淳一氏の「様々な才能」と題する記念講演があった。
その話の一部を紹介させていただく。

氏は言う。

「才能を広く大きく考えたい。人の話を聞かないですぐ眠れる人・・そのような人は寝起きがいい。
眠りは人が生きていくための原点だ。
体力をすぐ回復する。
私もすぐ眠れる。
うっかり横にもなれない。
医者にも夜間当直の時にすぐ起きれる人と起きれない人がいる。
寝起きが悪いと使い物にならない。
寝ぼけている当直にあたったら先ず最悪だ。
寝起きの良い人は寝付きがいい。
2時間寝付きの悪い人と寝付きの良い人では、一生で7万時間違う。
寝付きが良いというのも才能だ。

また、無神経と鈍感力は違う。
鈍感力は復元力だ。
私は立ち直る力を鈍感力と言いたい。

手術の時に小言を言う癖のある教授がいた。
事ごとに小言を言う。
生徒の中に背が高く何時も腰をかがめ、トンボめがねをしていた青年がいた。
いかにも叱られやすい顔である。
ところが彼は教授がぶつぶつと小言を言うと、はいはい、はいはい・・と返事をする。
ぶつぶつ、はいはい。ぶつぶつ、はいはい。
教授も甘えていたのかも知れない。
そのやりとりで仕事がうまくいく。青年は叱られた影を全く残していない。
気分の転換が早い。
叱られるとすぐ暗くなる生徒、傷つきやすく落ち込みの深い人と比べるとまるで違う。
青年は教授の近くにいることが多くなり、手術の腕がとても上がった。
今考えると人の話を聞いていなかったのだと思うが、この鈍感力も才能である。」

人は才能と言う時、どのようなものをイメージするのだろうか。
よく眠るのを才能と言うだろうか。
鈍感力を才能というだろうか。
でも考え方次第でマイナスと思われる性格を、プラス思考で考えることも出来る。
要はあまりに神経質になってしまわないことかもしれない。

教会は多くの人の献身で動いている。
それぞれが神様の前に良かれと思って奉仕の精神で動いている。
しかし人それぞれだから自分と考え方の違う人もいたりして思うようにならないことも多々ある。
意見がぶつかり、自分の基準で人を裁いてしまうこともある。
そして互いが深く傷つく。今回渡辺氏の話を聞きながら、今からでも遅くない。
自分も鈍感力を身につけたいと切に思った。
そして様々な才能を評価できるようになれたらと思う。

教会報 2008年6月号 巻頭言

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