2010年11月

死者を想う
吉川孝政神父

11月は死者の月。11月4日に、私の母、妹、弟が眠る群馬の墓地に行ってきました。そして墓前で祈りながら、3人を思い起こしました。

母は私が18歳の時、妹は10年前に、弟は生まれて2時間後に亡くなりました。いまでも3人の死に顔をよく覚えています。それにしても母とよくけんかしました。母がああ言えば私はこう言う。神父になることにも反対で、親不孝な息子だったかなと思います。いろいろあったけれど、この3人が司祭となった私を支えてくれている(心配している?)と感じます。

使徒信条で私たちは、「聖徒の交わり」を唱えます。これは神のもとにいる人々とこの世にいる私たちの絆を表しているように思います。それは目には見えないが互いに支え合うしるし。私が特にその絆を感じるのは葬儀の時です。

死という出来事にかかわることは辛いことです。それは自分もいつか死を迎えるということを自覚させられるからです。しかし、死を自覚すればするほど、いま生きていることのすごさ、ありがたさを感じさせられます。生きていることは、当たり前ではないのだと。そして、亡くなった方の旅立ちを、「いつの日かまた会いましょう」と祈り、見送りながら、絆を確認するのです。

死者の月に私たちは、「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」(『ミサ典礼書』死者の叙唱)という希望を胸に、歩んでまいりましょう。

教会報 2010年11月号 巻頭言

Script logo