2011年1月

人を活かす言葉の大切さ
吉川孝政神父

皆さん、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

最近「ことば」が気になっています。ちょっと言い方を変えればいいものを、人をおとしめたり、がっかりさせたりすることがある。「ことば」というものは、使い方によって人を活かす力になるし、人を殺す力も持っています。

最近のニュースなどを見ていると、私たちの気持ちを暗くするものばかりです。不満や不安を誰かに相談することもできず、暴発して他人を傷つけてしまう事件が起きる。声を上げられないまま自殺してしまう人がいる。いじめられていても助けを訴えられない。政治の世界でも、「ことば」で揚げ足を取ったり。今の社会はコミュニケーション不足=「ことば」を使い切れていないと思うのです。(私も使い切れていない者の一人です・・)

先日、聖家族のお祝いをしました。「聖家族を模範にして」とよく言いますが、たいへんな家族です。イエスが生まれてエジプトに避難、いつごろかわかりませんが、ヨゼフは亡くなり母子家庭に。そして最終的にマリアは我が子の十字架の死を見届ける。そういう苦しみを体験しているからこそ、イエスは私たちの苦しみが理解できるのです。真の神でありながら、真の人間として、私たちの気持ちと同じ苦しみを感じてくださる。

福音書を読みながら感じることは、イエスのことばと行い(生涯)は、すべて他者を力づける、活かすためでした。そしてその力を自分のためには使いませんでした。 私たちは新年を始めるに当たって、キリスト者として,人を活かす言葉の大切さを、考える必要があるのではないでしょうか。
せっかく神からいただいた「ことば=イエス」ですから、私たちの「ことば」も、大事に使っていきたいですね。

「言(ことば)は肉となってわたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1・14)

教会報 2011年1月号 巻頭言

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