2013年12月

日本での宣教について思うこと
ロニー・ロボッカ神学生

日本は豊かな歴史的遺産をもち、それは世界中の人々に気づきと励ましを与えるものです。多くの殉教者や聖人をもつことも日本の誇りです。

聖フランシスコ・ザビエルは「他の異教徒の中に、日本人のような民族は決して現れないだろう」と言いました。この言葉は、日本における宣教の業を考えるのに深い意味を持ちます。私のつたない考えでは、この聖人の不思議な言葉は、日本において福音が受け入れられることは、いかに困難かを現しているのだと思います。

日本における宣教は、メキシコやフィリピンでのように剣の圧力による強制ではなく、宣教師たちの努力にかかっていました。その努力にあたっては、神の位格や三位一体のような哲学的概念の翻訳、また日本人が自然の中に神々を見出すことが、困難として立ちはだかったでしょう。ザビエルはそこで、日本人のための要理書を書き、日本語の用語を用いるよう努めました。さらに宣教師たちは、文化的違いにも苦しめられたでしょう。

最初に日本で宣教が始まってから何世紀か経ちました。厳しい禁教令が解かれても、キリスト者が人口の1%を超えることはありません。それでも、神道、仏教に続く3番目の宗教と位置づけられてはいますが。

日本で宣教するためには、この社会の課題に心を開いていなければなりません。一つひとつの文化はそれぞれ異なり、貢献し合わなければなりません。福音のメッセージを妥協することなく生き、他の文化を尊重していきたいものです。

教会報 2013年12月号 巻頭言

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