2014年6月

神学院時代の故ローランド師との思い出
佐藤智宏神父

今年4月の聖週間にパリミッション会のローランド・ピエール神父様が帰天されたこと偲ぶ意味で、私のローランド師との思い出を少し語りたいと思います。

覚えている限りですが、私が初めてローランド師にお会いしたのは約8年前です。司祭の道を志し、当時の東京カトリック神学院に入学した際、1年目(哲学科1年)で栃木県の那須町にある初年度養成のための施設「ガリラヤの家」に養成者の司祭としてローランド師が抜てきされ、1年間共に生活した時でした。

食事の時、また授業の時にも、思いがけず普段の冷静で物腰穏やかな表情とは一変して、今の日本の教会についてや信徒の信仰生活の姿勢について、ずばっと物申す(毒舌もありました) モードに変化することがありました。この一面を見る時、「この神父さん、若い時は結構厳しかったかも」と感じることができました。

ローランド師の、その「はっきり物申す」場面で私が今でも忘れられないのは、モーセ五書(旧約聖書の最初の5つの書物=創世記~申命記まで) の授業の中である時言った言葉でした。

「自分の家族にすら、自分の信じていることを伝えられないのに、どうして今まで付き合いのなかった他人に神さまやイエスさまについて話すことができるのですか?」。なるほど、的を射ている、そう実感しました。それは私自身の家族との記憶が重なったからです。

以前も紹介しましたが、6人兄弟(私以外は皆女性で、姉妹です)の8人家族で生活してきた中で、最初に洗礼を受けて家庭をカトリック信者に導いた母は、重要な事柄、特に教会に行くことと信仰(祈り)について、私たち息子・娘ととことん話し合う(喧嘩も)タイプでした。でもその「腹を割って、きれい事で隠さずに」信仰の事柄を家の中でしっかり話題に出すというのは、今考えてみるともっとも親にとっては「十字架」なのではないかと思います。自分も不勉強だから、あまり聖書の意味もわからないからと、避けて通りたくなる十字架ではないか、と。

今、改めてローランド師との思い出を胸に刻みながら、この現代の複雑な家庭事情、信仰を伝えるのに困難な家庭にいるすべてのキリスト者に、まず「目に見える兄弟(家族)を愛し」、神さまのいのちに招くための勇気と恵みが与えられますよう、私も微力ながら協力していきたいと思います。

教会報 2014年6月号 巻頭言

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