2018年5月

フェイクニュースと平和的ジャーナリズム
教皇フランシスコ

「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8・32)

神の計画において、人間のコミュニケーションは交わりのうちに生きるために欠かせない手段です。
創造主にかたどられ、似姿として造られた人間は、真理と善、美を表現し、分かち合うことができます。
そして、自分自身の体験や世界について語り、そのことを記憶にとどめ、さまざまな出来事を理解することができます。
しかし、聖書の中のカインとアベルの話やバベルの塔の話(創世記4・1-16、11・1-9参照)で当初から示されているように、もし思い上がり、自分のことだけを考えるなら、人はコミュニケーションの力をゆがんだかたちで用いることもできます。
真実をすり替えることは、個人的にも集団的にも、そのゆがみの典型的な表れです。
そうではなく、神の道を忠実にたどるなら、コミュニケーションは真理の追究と善の構築における自分自身の責任を表す場となります。
コミュニケーションが加速し、デジタル化が進む現代において、わたしたちはフェイクニュースと呼ばれる「事実と異なる情報」を流す現象を目の当たりにします。
わたしたちはこの現象について深く考えるよう求められています。

……

嘘から解放されることと、結びつきを求めることは、わたしたちのことばと行いが正確で真正で信頼に値するものとなるために欠かせない二つの要素です。
真理を識別するためには、交わりと善を促すものと、その逆に孤立と分裂と敵対をもたらすものを見分けなければなりません。
したがって、外から機械的に押しつけられても、真理を本当の意味で会得することはできません。
真理はむしろ、人々が自由に交わり、互いに耳を傾け合う中でわき出るものです。
また、正しいことを述べているときにも、嘘はつねに忍び寄るので、決して真理を求めるのをやめてはなりません。
非の打ちどころのない論証は、明白な事実に基づいていますが、もしそれが相手を傷つけ、その人の信用を落とすために用いられるなら、たとえどんなに正しく見えても、そこには真理はありません。
わたしたちは述べられたことの真偽を、その成果を見て見極めることができます。
それらが争いを巻き起こし、分離を助長し、あきらめを感じさせているか、それとも、情報に基づく成熟した考察や建設的な対話、有益な活動をもたらしているかを見極めるのです。

教会報 2018年5月号 巻頭言

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