2018年6月

聴く、応える、食べる、行く~初聖体を祝う
吉川孝政神父

今日、キリストの聖体を祝うミサの中で、3名の子どもたちが初聖体を受けます。
それにあたり、ミサについて分かち合いたいと思います。

ミサは、皆さんもご存知のとおり、ことばの典礼(共同祈願まで)と感謝の典礼(奉納以降)とに分かれています。
このそれぞれのミサの構造の背景には、ユダヤ教の伝統が深くかかわっています。
ことばの典礼は、ユダヤ教の会堂で行なわれていたものに通じています。
感謝の典礼は、イスラエルの民が神によって奴隷状態から解放され、エジプトを脱出したことを祝う過越祭とつながっています。
わたしたちはことばの典礼において神のみことばを聞き、それに応答します。
感謝の典礼の中で、わたしたちのためにいのちを捧げられたイエスの死と、それを過ぎ越されたイエスの復活を思い起こし、そのしるしとして、ご聖体をいただきます。
イエスのいのちを受けて満たされたわたしたちは、外に向かって歩み始めるのです。

この、聴く、応える、十字架と復活を思い起こしてパンを食べる、行く、という流れの中にミサはあります。
簡単に思い起こしましたが、ミサはわたしたちにとって最高の礼拝であり、カテキズム=信仰教育の場でもあります。

ミサにおける沈黙、祈る大人の姿を、子どもたちは見ています。
大人の背中を見て、イエス・キリストはどういう方なのか、教会とはどういう場なのか、ミサの中で身につけていくものだと思います。
ミサが一番の教育の場です。
それを大人は示していかなければなりません。
これは家庭の中でもそうでしょう。
聴く、応える、食べる、そして行く。
ミサの中での態度は、普段の生活の態度につながっています。

初聖体にあたり、ミサに参加する態度を振り返っていただきたいと思います。

教会報 2018年6月号 巻頭言

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