2021年3月

回心の道(その2)
御前(みさき)ザビエル

◎2月7日 四旬節第3主日(ヨハネ2・13〜25、詩編19)

エルサレムの神殿の中、いけにえのための動物を売る人や両替商などがいました。
わたしたち人間は、時に神と取り引きしたいのです。
「何が人間の心の中にあるかをよく知っておられた」イエスの光をもって、自分の心の中に何があるかを見つめましょう。
神を買うことはできません。
神はただで愛し、無償でご自分を与えてくださいます。
「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」と訴えるイエスの勧めを受けて、わたしの心から、神と相いれないものを取り除き、取り引きを止め、解放された自由な心で神を愛し、人々を大切にしましょう。

◎3月14日 四旬節第4主日(ヨハネ3・14〜21、詩編137)

新型コロナウイルスによって、亡くなった人、病気になった人、仕事を失った人の計り知れない苦しみを思うと、神に文句を言いたい気持ちになりかねません。
「いったいどうなっているのか」と嘆きたくなるとき、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠のいのちを得るためである」というイエスのことばによって強められますように。

◎3月21日 四旬節第5主日(ヨハネ12・20〜33、詩編51)

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と聞くと、四旬節の間こそ、自分のわがまま、自分の傲慢さ、自分のうぬぼれに死ななければならないと思ってきます。
しかし、できそうもありません。
「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」と語るイエスの約束を信じて、祈り、愛の業を通して、イエスに引き寄せられて、イエスの愛によって、地に落ちた一粒の麦のように、自分に死んで、キリストのうちに生きていきましょう。

◎3月28日 受難の主日(枝の主日)(マルコ14・1~15・47、ヨハネ18・1~19・42、詩編22)

キリスト者にとって、主イエスの受難の物語は、とても大事な朗読箇所です。
毎年、2回朗読されます。
受難の主日に、A年マタイ、今年のB年はマルコ、C年はルカ福音書による朗読です。
そして、毎年、聖金曜日(今年は4月2日)に、ヨハネ福音書による受難が朗読されます。
それぞれの福音書の頂点であり、中心です。主の過越の神秘を祝う最後の準備として、マルコとヨハネによる主イエス・キリストの受難の物語を、聖週間の間、毎日少しずつ読んでみましょう。

教会報 2021年3月号 巻頭言

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