2022年3月

黙想
御前(みさき)ザビエル

3月13日(日)に、阿部仲麻呂神父様の指導で四旬節の黙想会が行われます。
「黙想」ということばを見ると、「黙って想う」と書きます。
辞書によりますと、「ある対象を心において求め考えること」だそうです。
ヨーロッパの国のことばで訳すと、英語=retreeat、フランス語=retraite、イタリア語=ritiro、とよく似た単語で、意味は「退く」 ということです。
黙想するとは、日常生活から離れて、沈黙のうちに思い巡らすことです。
わたしたちは、言うまでもなく、黙想会に与かる時は、信仰を対象にして思い巡らします。

あえて言えば、主イエスも、さまざまな病や苦しみを抱えている人々に近づき、救いの手を差し伸べてくださると同時に、弟子と群衆から離れて「黙想」し、時には夜通し祈っておられました。
どんなお祈りされたのでしょうか。
マタイ、マルコ、ルカの共観福音書に、イエスの祈りの内容について、いくつかの箇所があります。
たとえば、マタイによる福音書11章25〜28節には次のように記されています。
「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちにお示しになりました。そうです、父よ、これはみ心にかなうことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません』」。

イエスに学んで、すべての人の救いのために、神への祈りをささげましょう。
賛美、感謝、希望の祈り。幼子のようになり、神の神秘を味わう祈り。さらに、主イエスからの祈りを心に刻みましょう。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。

黙想をとおして、イエスとともに生きることを学び、心の深い安らぎをいただけますように。

教会報 2022年3月号 巻頭言

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