2023年8月

聖ローザ(リマ)おとめ
中嶋 義晃 神父

今回紹介するのは、8月23日にお祝いする聖ローザ(リマ)おとめです。
彼女は、南アメリカで生まれた最初の聖人であり、「ロサ・デ・サンタ・マリア」として知られています。
家庭内の問題、障害に際して、彼女の取り次ぎを求める人も多いそうです。

「よく祈る人は、よく生活できる」と言われていますが、リマの聖女ローザも、よく祈る人でありました。

彼女は、1586年4月20日に南米はペルーのリマでスペイン系の家庭に生まれました。
当時、ペルーはスペインの植民地であったので、首都リマにはカトリック信者が大勢いました。
幼児洗礼名は、美しく、明るく人の目を楽しませるバラの花のようになるため、ローザと名付けられたそうです。
リマの町には、先住民族やアフリカ系の人が大勢いて、みな貧しい生活で、みすぼらしい身なりをしていました。
この人たちをなんとかしてあげられないものかと、ローザは真剣に考えていました。
ある時は、行き倒れになった先住民族の老婆を家に引き取ったり、父の許しを得て、家の一室を開放して貧しい病人の世話をしていました。

ローザは12歳になると、家から少し離れた所に山小屋のような「離れ」を作って、小さい祭壇に十字架やろうそくを置いて祈っていました。
そして20歳の時、「聖マリアのローザ」と名のります。
彼女は自然のそよ風の中に神の息吹を感じとり、アシジの聖フランシスコのように小鳥に話しかけたり、咲き誇る花を相手に神をほめたたえていました。
ある日、お手伝いさんがその小屋をのぞいて見ると、背丈ほどもある大きな十字架が壁に立てかけてありました。
ローザはこの小屋の中で縫い物をしたりして、スペイン人の回心と先住民族への福音宣教のために祈りをしていました。
それに加え、イエスの十字架の道行を黙想しながら、その重い十字架を担いで庭を歩き回り、道行の信心をしたといいます。
それで、ある人たちはローザの生活ぶりをあざ笑い、変人扱いしていましが、まじめな人たちはローザを訪問し、尊敬しながらそのことばに耳を傾け、回心したといいます。
ローザは聖ドミニコ教会のロザリオの祭壇でーつの声を聞きます。
それは修道院の中ではなく、むしろ世間にとどまって人々の間で神に仕えなさい、という声であったそうです。
こうしてローザは1602年、16歳でドミニコ会第三会に入会を許されました。
ローザが皆に繰り返し述べていた次のことばが残っています。

「人がお恵みによって生きるのが、どういうことであるか知ったならば、いかなる苦悩にも驚かないでしょうし、あらゆる苦難にも耐えるでしょうに。というのも、お恵みは忍耐の果実ですから」と。

当時のリマではスペインの小貴族がインカ帝国の貴族の子孫を見下し、両者は争っていましたが、ローザはその中間に属する者として彼らの和解を図り、助け合うように努め、キリストは、すべての人を分け隔てなく、十字架上の死をもって救われた、と説いていました。
そのうえ、当時リマにはドミニコ会第三会の女子修道院がなかったので、1615年、ローザはシエナの聖女カタリナのようなドミニコ会第三会の修道服を着て、自宅の庭に建てられた小屋の中で、守護の天使に守られながら観想生活と苦行をしていました。
その2年後の1617年8月24日、31歳の若さで神様のもとへ旅立ちました。

教会報 2023年8月号 巻頭言

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