2023年9月

日本205福者殉教者
中嶋 義晃 神父

今回は聖人ではなく日本205福者の紹介となります。
江戸時代初期の殉教者です。
1867年に福者にあげられました。 
内訳は、長崎での殉教者151人、大村28人、有馬9人、小倉5人、島原4人、江戸3人、その他、雲仙、田平、壱岐、京都、仙台各1人です。
国籍は、日本が153人、スペイン24人、ポルトガル5人、イタリア5人、メキシコ3人、オランダ、ベルギーが各1人、また秀吉の朝鮮侵攻から朝鮮半島出身者が13人いました。
司祭13人、修道者20人、また、女性が14人、少なくとも6人は子どもでした。
この福者は1617年から32年までの15年間に殉教した方々です。

この中の、レオナルド木村神父を紹介します。
この神父はザビエルから受洗した木村家の子孫であり、「イエズス会」の司祭でした。
1614年の宣教師追放令が出たとき、上長の命令で日本に潜伏、山陽、山陰でキリシタンの指導と伝道に当たっていました。
ところが16年、大坂城に入っていた有名なキリシタン武将、明石掃部(かもん)の子、秀頼の武将であった内記(ないき)を探索するため2人の役人が長崎に来ます。
その結果、16年12月に、内記をはじめ、レオナルド木村神父も内記をかくまっていて捕らえられてしまいます。
それから殉教までの3年間、木村神父は牢獄で暮らします。
そこには神父以外、13人がキリストを信仰しているゆえに投獄され、他に非キリシタン7人が別の罪でいたそうです。

牢獄では毎日、キリシタン囚人たちとともに、東の空が白む頃から1時間の念祷、次の1時間は声を出して祈り、終わると朝食まで霊的読書をしました。
食後はそれぞれの仕事をし、午後は1時間の祈り、読書、書きものなどをし、また霊的読書で1日を終えます。
この読書は翌日の黙想の準備となりました。
水、金、土には皆が断食し、わが身をむち打って苦行をしました。
そして金曜には、キリストの五つの傷を黙想しながら5時間祈りました。

処刑場は西坂でした。
薪を柱から離し、遠火で長く苦しめ、その問に転ばせようと計画していました。
木村神父は火が近づき、わが身があぶられるようになると詩編「ラウダーテ」(ほめたたえよ)を繰り返し、炎を恭しく頭上に載せるかのようにしました。
集まっていた多数のキリシタンたちはどよめき、一斉にゼズス、マリアのみ名を唱えました。
他の4人も神父と同じく敬虔に天上の喜びに満たされながら、この悲惨な苦しみの中で、極めて安らかな最期を遂げました。

「恐ろしい刑罰の中にありながら、かくまで喜ばしい面持ちをしている彼らを見守る人の感動は信じられないほどで、長崎の町々や周辺では、長くこの噂で持ちきった」と、報告したイエズス会日本年報(1619年度)の筆者ガスパル・ルイスは述べています。

教会報 2023年9月号 巻頭言

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