2024年1月

聖フランシスコ・サレジオ
中嶋 義晃神父

聖フランシスコ・サレジオを紹介します。
聖フランシスコ・サレジオは、1567年8月21日、フランスはサヴォワ公国のアヌシ北部にあるトルンのサール城で領主フランソワ・ド・サール・ド・ボアジー侯の六子で長男として生まれました。
当時、サヴォワ公国はフランス南東部からスイス、北イタリアー帯にまたがっていたましが、欧州のカトリック教会は、プロテスタントの興隆で危機に瀕していました。
その上、諸国の王侯は自分の政権争いにこれを利用したため、事態はますます混乱の度を増しました。
それでカトリック教会は、「トリエント公会議」(1545〜63年)で教義を明確にし、説教者を各地に巡回させ、福祉事業を盛んに行わせました。
聖フランシスコ・サレジオは、このような教会の要請に応え、教義に通じ、説教にも文筆にも優れた才能を生かしてカトリック教会の復興に努め、さらに福祉事業に携わる聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタルを指導し、1610年に彼女と協力して「聖母訪問修女会」を創立しました。

日本の「サレジオ修道会」は19世紀、司祭ヨハネ・ボスコによってサヴォワ領内であった北イタリアのトリノで創設されました。
サレジオの名は聖フランシスコ・サレジオの柔和な人柄、著作による宣教活動、貧しい人々への共感などに大きく影響されて、付けられたと言われています。

フランシスコは35歳で司教に選出され、現スイスのジュネーブ教区長に就任しました。
彼は「トリエント公会議」 の決議に基づき、教区民への霊的配慮と要理教育、司祭養成のための神学校設立、修道精神の振興に力を尽くします。

また彼は、人々にことばと行ないをもって影響を与えるだけでなく、著作によっても導きました。
『信心生活の入門』は、だれでも神の愛に生きられることをあかしし、各国語に翻訳されています。また神への愛を語った『神愛論』は、フランス文学の傑作の一つとされています。
彼は、カトリック新聞記者とカトリック著書の保護者とされています。

教会報 2024年1月号 巻頭言

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